Netflix で配信中のドラマ「地獄に堕ちるわよ」、見ましたか?
戸田恵梨香さんが演じる細木数子の生き様に、見ながら何度「すごっ…」と声が出たことか(笑)。
で、全話見終わってモヤモヤが残っている人、きっと多いはずなんですよ。
最終話で突然消えてしまった愛犬ティアラ。
「え、どこ行ったの!?」「なんで急に?」「あのシーンって何の意味があるの?」……そう思いながら検索してここに来てくださった方、ようこそです。
この記事では、ティアラが消えた理由や最終話のラストシーンの意味について、他の方の考察も参考にしながら、私なりの見解も交えてお話しします。
最終話のネタバレを含みますので、まだ見ていない方はご注意ください!
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【最終話ネタバレ】愛犬ティアラが消えるシーンをおさらい
まずは、問題のシーンを整理しておきます。
最終話(第9話)のラスト近く。
数子は自分の人生を小説にした作家・魚澄美乃里(伊藤沙莉さん)と、原稿をめぐって一悶着を起こします。
魚澄さんが書き上げた原稿を、数子はひとりで読んで涙を流す(これが後の考察でも重要なポイントになります)。
しかし翌日、直接会った魚澄さんには「面白かったけど、出版はさせない」と冷たく突き放す。
そのやりとりの後、魚澄さんが帰っていきます。
数子は豪邸でひとり、書類を拾い集めながら、ふとあることに気づく。
「あれ、ティアラは?」
豪邸の中をあちこち探し回るのですが、どこにもいない。
そして振り返ると幼少期の自分(子どもの数子)が立っていて…。
「地獄に堕ちるわよ」
そう言われた数子は「地獄なんてさんざん見てきた。ちっとも怖くないわ」と言い放ち、戦後の瓦礫の街を歩いていきます。
このティアラが消えるシーンについて、ドラマの中では何の説明もなし。
「えっ、それで終わり?」という静かな衝撃とともに幕が閉じるわけです。
ティアラはどこへ行ったのか?視聴者の考察まとめ
「ティアラはどこへ行ったの?」という疑問、知恵袋やSNSでも同じように悩んでいる人がたくさんいました。
大きく分けると、こんな解釈に分かれているようです。
死んでしまった(大殺界の入り口)説
知恵袋の質問で最初に挙げられていたのがこの説。
最終話の時点が大殺界(六星占術でいう運気が大きく下がる時期)の入り口にあたるとすれば、ティアラを失ったことがその始まりを象徴しているのでは、という読み方です。
ドラマ内でも数子は「大殺界は誰にでも訪れる」と語っており、その本人が大殺界に突入するきっかけとして、最も大切な存在を失う、という流れは確かに筋が通っています。
ただ、調べてみると重要な情報があって。
このティアラが消えるシーンは「2006年の出来事」として描かれているのですが、実際のティアラはその後もメディアに登場しているとの指摘があります。
つまりドラマ制作陣も「ティアラが死んだ」という描写を意図しているわけではなく、あえて答えを出さずに演出として使っていると考えるのが自然なようです。
ドラマ演出としての比喩・象徴説
最も多かったのが、この解釈です。
「ティアラの失踪は、実際の出来事を描いているのではなく、数子の心情や状況を映し出した演出である」という見方。
知恵袋のベストアンサーを見ると、「好き放題やっていると、自分の周りの大切な存在がいなくなることを暗示している」という意見が高く評価されていました。
また、ある考察では「ティアラ失踪は最後の家族を失ったことを意味する」という解釈が示されています。
母の死に目に会えず、魚澄さんにも去られ、ティアラまでいなくなる…これは孤独の連鎖を象徴している、というわけですね。
さらに別の考え方として、「ティアラを必死に探す姿が、ずっと愛を求め続けてきた数子の本質を表している」という読み方もあります。
ティアラを探し回る数子の姿が、愛を求めながら手に入れられなかった人生そのものだと。
これはかなりグッとくる解釈で、私も「そうも見えるな…」と思いました。
広い豪邸のどこかにいるだけ説
あともう一つ、現実的な見方として「単純に豪邸が広すぎて、たまたま見当たらないだけでは?」という声もありました(笑)。
確かに広大な邸宅ですし、犬が別の部屋にいるだけ、という可能性は否定できません。
「え、それで終わり?」という唐突さへのツッコミを込めつつ、こういう素直な感想も出てくるのが視聴者心理というもの。
ただ、制作陣がわざわざこのシーンを丁寧に描いていることを考えると、「たまたま見当たらないだけ」というオチではないと思います。
各説を見ていて、わたしが一番しっくりきた解釈
さて、各説を整理したところで、私自身の見解を話させてください。
私が最もしっくりきたのは「比喩・象徴説」のベースに、もうひと味加えたものです。
それは、「ティアラは数子が手放し損ねた選択肢の具現化だった」 という解釈。
ちょっと説明します。
劇中、数子には何度かほどほどの幸せを手に入れるチャンスがありました。
母と高架下のおでん屋で暮らす、その道。
魚澄さんと本音でぶつかり合う、その道。
でも数子はそのたびに、より高みを目指す自分を選んできた。
ティアラはその数子のそばに、ずっとおとなしく座っていました。
豪邸の中で数子の生き方にずっと従ってきた存在。
魚澄さんさえも「出版させない」と切り捨てた瞬間、数子はすべての「自分に従ってくれる存在」を失ったんだと思います。
ティアラがいなくなったのは、その喪失感の具現化なんじゃないかなと。
「探しても見つからない」というのが、これ以上ないほど効いている。
愛を求めてきたのに、自分の手で愛を遠ざけ続けた人生の結末として、あの「どこにもいない」という空白が機能しているような気がします。
そもそもティアラは細木数子にとってどんな存在だったのか
ここで少し立ち止まって考えたいのが、ティアラという存在の重さです。
劇中で数子はこんな言葉を残しています。
「ティアラを旅行に連れていかないと、寂しくて私が死んじゃう」
これ、サラッと言ってるけどかなり本音だと思うんですよ。
ハワイにも連れていく、リムジンにも乗せる。
豪邸で原稿を読む数子のそばで、ちょこんとおとなしく座っているティアラ。
その姿を見たとき、「ああ、この子だけは絶対に裏切らない存在なんだな」と感じませんでしたか?
考えてみると、数子の人生は裏切りの連続でした。
落合、三田、須藤、堀田、島倉千代子さん…。
愛したり信頼したりした相手に、何度も何度もしっぺ返しを食らってきた。
そんな数子にとって、見返りを求めず、ただそこにいてくれるティアラは「最後の家族」と言っても過言ではない存在だったんだと思います。
ちなみに「ティアラ」という名前にも意味が隠されているかもしれません。
ティアラとは冠のこと。虚飾、誇示、権威の象徴でもある。
数子が自分の欲望と権威の上に置いた存在が、ティアラという名の犬だったとも読める。
それがいなくなる=欲望と権威の上に乗っかっていた数子の世界が崩れはじめる合図、という見方も面白いなと思います。
「幼少期の自分」が現れたラストシーンと、ティアラ失踪の関係
ティアラを探し回っても見つからない、という孤独の絶頂に、過去の自分が現れる。
このつながりがとても意味深で、考えれば考えるほど面白い。
「幼少期の自分に会う」というのは、自分の原点に向き合う、ということ。
幼い数子は「あんた地獄に堕ちるわよ」と言います。
これ、呪いの言葉というよりも、もっと複雑な意味合いがあると思っていて。
純真だった頃の数子が、欲望に塗れた大人の数子を見ている。
「あなたはこうなりたかったの?」という問いかけでもあるような気がします。
でも数子は「地獄なんてさんざん見てきた。ちっとも怖くないわ」と言い放って瓦礫の街を歩いていく。
後悔なんてしていない、という宣言でもあるし、どこか悲しくもある。
ティアラ(最後の家族・愛)を失った後に、ありし日の自分と対峙して、それでも前に歩いていく。
この流れ全体が「細木数子という人間の孤独と強さ」を圧縮したシーンなんだと、私は受け取りました。
そしてもうひとつ大事なことを確認しておくと。
このティアラが消えるシーンは、ドラマの時間軸では2006年ごろの出来事として描かれています。
実際のティアラはその後もメディアに登場していたことが確認されており、「ここで死んでしまった」という話ではないようです。
つまり「ティアラがどこへ行ったか」の答えは、意図的に宙づりにされているんだと思います。
あの「どこにも見当たらない」という空白こそが演出の本体であり、答えを出すことが目的ではない。
それが視聴者に「自分はどう読むか?」を問いかける、このドラマらしいラストシーンだったような気がしています。
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まとめ
「地獄に堕ちるわよ」最終話の愛犬ティアラについて、まとめます。
- ティアラが「どこへ行ったか」はドラマ内で一切説明されない(意図的な宙づり)
- 実際のティアラは2006年以降もメディアに登場しており、死亡した描写はドラマにもない
- 主な解釈は「大殺界の始まりを象徴する喪失」「孤独・愛の喪失を表す演出」「豪邸のどこかにいるだけ」の3説
- 知恵袋のベストアンサーは「大切な存在がいなくなることを暗示した象徴」という読み
- ティアラは裏切らない唯一の存在=数子にとっての最後の「家族」的存在だった
- ティアラ失踪の直後に幼少期の自分と対峙するのは「原点との向き合い」を描いている
- 私の解釈は「ティアラは数子が手放し損ねた選択肢の具現化」
「真相は分からない」というのが正直なところです。
でも、答えが出ないからこそ、見終わった後もこうして頭の中でグルグルと考えてしまう。
それがこのドラマの面白いところで、ティアラが消えるシーンひとつにこれだけの含みを持たせた作り手のセンスは、ちょっと悔しいくらいに好きです(笑)。
あなたはどの解釈が一番しっくりきましたか?

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