Netflixで配信されるやいなや、あっという間に話題をかっさらった『地獄に堕ちるわよ』。
「これ、どこまで実話なの?」って気になって調べてしまった人、私だけじゃないはずです。
細木数子さんをモデルにしたドラマということは知っていても、あんなドロドロした内容が全部実話だったらちょっとシャレにならないレベルだし、かといって完全フィクションにしては妙にリアルすぎる感じもする。
この記事では、「どこまで実話でどこからフィクション」なのかを、複数の情報源をもとにできるだけ丁寧に整理してみました。
ドラマを観終わって「あれって本当のこと?」とモヤッとしている方、ぜひ読んでいってください。
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【地獄に堕ちるわよ】そもそも実話なの?フィクションなの?まず結論を言っておく
ドラマ冒頭から答えは出ています。
テロップでこう出るんですよ。
「この物語は事実に基づいた虚構である」
……どっちなんだ(笑)。
「事実に基づいた」って言っておきながら「虚構」。
日本語の使い方、なかなかズルいですよね。
でも実はこれ、ドラマの本質をついた表現でもあります。
細木数子さんという実在の人物の人生を骨格に使いながら、ドラマとして肉付けしたり、出来事の順番をずらしたり、台詞をゼロから作ったりして成立しているのがこの作品。
つまり、「骨格は実話、肉付けはフィクション」というのが正直なところ。
美談として描くつもりはない、とNetflix側が養女の細木かおりさんに伝えたというのも有名な話で、かおりさんも自身のYouTubeで「フィクションですから、って言われたら、そうですか……って感じで」と吐露されています。
つまり、身内でさえ「フィクションとして作られた」と認識しているということ。
でも調べれば調べるほど「あれも実話」「これも実話」が出てくる。
そのへんを、もう少し具体的に掘り下げていきますね。
【地獄に堕ちるわよ】どこまで実話?史実ベースだと確認できるエピソード
大きな流れは、かなり史実に忠実です。
「人生の骨格は事実、中で何を考えて誰に何をしたかは脚色」と思っておくと、ドラマの見方がスッキリするかもしれません。
戦後の貧しい幼少期と夜の世界への転身
細木数子さんは1938年4月4日生まれ(2021年11月8日死去、享年83歳)。
東京・渋谷区の出身で、戦後の混乱期に幼少時代を過ごしました。
ドラマで描かれるミミズを食べて生き延びる場面……あそこまで極端かどうかはさすがに確認のしようがないですが(汗)、「食べるものがなかった時代を生き抜いた」という背景は史実です。
高校を中退して夜の世界に入り、おにぎり屋から始めてやがて銀座にクラブを構えるまでの流れも、細木かおりさんや複数の文献が確認している実話ベースのエピソード。
「10代でおにぎりなどの軽食を提供する喫茶店を始めた」という話は、養女の細木かおりさんが月刊文藝春秋でも語っています。
裏社会の人間との内縁関係、借金地獄からの脱出
ドラマで生田斗真さんが演じた堀田雅也のモデルは、実在の小金井一家総長・堀尾昌志さんという人物。
細木数子さんが詐欺にあって10億とも言われる負債を抱えたこと、そこから堀尾さんとの関係がはじまったことも実話ベースです。
二人は30年以上にわたって関係を続け、堀尾さんが亡くなったあとも、細木さんは自家のお墓の隣に堀尾さんのお墓を建てるほどだったとも伝えられています。
なんというか、ドラマの演出よりも実話のほうが人間くさい(笑)。
島倉千代子との借金整理と支配関係
ドラマの後半の山場となる「島倉千代子との関係」は、かなり史実をベースにしています。
島倉千代子さんが多額の借金を抱えていたこと、細木数子さんがそこに介入して借金整理を助けたこと、その後は細木さんが興行権を握って事務所を仕切るような形になったこと。
これらは溝口敦さんの著書『細木数子 魔女の履歴書』に詳細が記されており、ドラマの参考文献にもなっています。
ただしドラマの「橋の上で飛び降りようとしているところを救った」という感動的な出会いは創作で、実際は新宿コマ劇場で債権者に囲まれていた島倉さんを助けに行ったのが始まりとされています。
出会いのシーンは脚色なのに、その後の支配・搾取の構図はほぼ実話。
……このギャップがまたこわい。
安岡正篤との婚姻騒動と遺族との対立
ドラマに登場する陽明学者・安永正隆(石橋蓮司さん演)のモデルは、昭和天皇の玉音放送の草案作成にも関わったとされる思想家・安岡正篤さん(1898年2月13日生まれ、1983年12月13日死去、享年85歳)。
細木数子さんが1983年に婚姻届を提出したこと、安岡家がこれに対して婚姻無効の調停を申し立てたこと、1985年に婚姻無効の和解が成立したこと、この一連の話はすべて実話です。
ドラマでもこの件がかなり生々しく描かれていますが、あのくらいの「え、そんなことしていいの?」感は実話でも変わらない(汗)。
【地獄に堕ちるわよ】どこがフィクション?脚色されていると見られる部分
「史実ベースで大きな流れはほぼ本当」だとしても、ドラマならではの演出として変えてある部分もあります。
ここも整理しておきましょう。
島倉千代子との「橋の上での出会い」は作り話?
さっきも少し触れましたが、ここはハッキリとフィクションと見られています。
ドラマでは「橋の上で飛び降りようとしていた島倉さんを数子が引き止める」という、映画みたいな場面が描かれていました。
でも複数の情報源によると、実際の出会いは新宿コマ劇場だったと見られており、「橋のシーン」は脚本家が作り上げたドラマ的な演出の可能性が高いです。
監督の瀧本智行さんも取材でこう語っています。
「いくらフィクションでもここまでは見たくないだろうという線引きはした。あまりにダークすぎるエピソードは取捨選択し、ドラマとして彼女を愛せるキャラクターにするために昇華させている」
「愛せるキャラクターにするために昇華」……この言葉がポイントで、史実よりも感情移入しやすく整えた部分が随所にあるということです。
出来事の時系列がずらされている理由
ドラマでは、ある出来事が史実より早い年代に置かれていたり、順番が入れ替わっていたりします。
これは、ドラマとして日本の戦後史と細木数子さんの人生を重ね合わせて見せるための演出上の調整だと考えられます。
海外の視聴者や若い世代にも「昭和の日本」をわかりやすく届けるために、時代の流れに合わせてエピソードを並べ直した、ということでしょうね。
架空の人物・魚澄美乃里の役割とは
伊藤沙莉さんが演じた小説家・魚澄美乃里は、完全に架空の人物です。
実際には存在しない人。
でもこのキャラクターが物語の構造上すごく重要で、「細木数子が自分で語る都合のいいストーリー」と「周辺人物の証言で浮かび上がる別の真実」をぶつける役割を担っています。
要するに、架空の人物を挟むことで「どこまでが真実か」を視聴者に考えさせる仕掛けになっている。
これ、フィクションの技法としてすごくうまいなと思っていて。
「全部本当」でも「全部嘘」でもなく、「見る人によって答えが変わる余白」を作ってるんですよね。
【地獄に堕ちるわよ】冒頭テロップ「事実に基づいた虚構」ってどういう意味?
これ、さらっと流されがちなんですけど、実は作品のテーマそのものだと私は思っています。
「事実に基づいた虚構」という表現、ようするに「骨格は本物だけど、やってることはフィクション」という宣言です。
でもこれって普通のドラマが言うフィクション免責とはちょっとニュアンスが違う。
普通は「この作品はフィクションです。実在の人物や団体とは関係ありません」って書くじゃないですか。
でもこのドラマは「実在の人物がいる、実在のできごとがある、でも虚構である」という、矛盾を抱えたまま進んでいく。
その「どっちなんだよ」という落ち着かなさ自体が、細木数子という人物の核心でもあるんですよね。
「ぜんぶ嘘だよ。ほんとだよ。」というドラマのコピーも、まさにそれを表していると思います。
養女・細木かおりも証言!「フィクションです、と言われた」
細木数子さんの養女であり、現在は六星占術の継承者として活動している細木かおりさん(1978年12月11日生まれ)。
ドラマ配信初日に自身のYouTubeを更新し、制作側とのやりとりについてこう語っています。
「私たちには『やめてください』という権限がないから。『フィクションですから』って言われたら、そうですか……って(なる)」
さらに、
「本人も『そんなに綺麗な人生ではない』ってことは言っているしね。でも私のリスペクトは変わっていません」
という言葉も添えられていました。
家族の立場からすると、複雑な気持ちがあるのは当然だと思うんですよ。
でも、「綺麗に書くつもりはない」と宣告されながらも「まあ良いんじゃないかな」という着地は、それだけ細木数子という人の人生が「綺麗じゃなくても面白い」という自信に裏付けられているのかもしれない。
かおりさんのこの言葉、なんかすごく好きです。
実話か嘘かより怖い…全部フィクションであってほしいと思わせる作品の正体
ここからは私の感想も混じりますが、聞いてください(笑)。
このドラマ、「フィクションです」ってテロップが出るんですよ。
なのに観終わったあと、「これ全部本当のことなんじゃないの……?」という背筋寒い感じが残る。
ある視聴者さんの感想に「むしろフィクションであってくれ!と思うくらいおっかなかった」というコメントがあって、それめちゃくちゃわかりますって話なんですよね。
調べれば調べるほど「あ、これも実話」「あ、これも裏がある」が出てくるループに入っていく。
もう抜け出せない。
なぜ地上波テレビでは絶対に作れなかったのか
このドラマ、Netflixだから成立した話です。これは断言できます。
細木数子さんはTBSやフジテレビでレギュラー番組を持っていたくらい、テレビ業界と深くかかわっていた人物。
そのテレビ局が自分たちで「細木数子の実態を暴くドラマ」を作ったら……自社にブーメランが刺さります(笑)。
島倉千代子さんとのエピソードは、演歌歌手の巨額借金と裏社会の人間、そして細木数子が絡む話。
あのレベルのことを地上波でやれるかというと、まず無理。
Netflixというプラットフォームだから、忖度なしに踏み込めた。
「全裸監督」(村西とおるがモデル)や「極悪女王」(ダンプ松本がモデル)も同じ系譜で、日本のテレビが自分たちの手では扱えない題材をNetflixがやってくれている構図があります。
観ながら「そりゃテレビ局も逆らえないわ」ってなってしまうの、ある意味でこのドラマの社会派な側面なんですよね。
参考文献の2冊を知ると、ドラマの見方が変わる
このドラマを作るにあたって、監督の瀧本智行さんはNetflixから2冊の本を渡されています。
ひとつは細木数子さん本人による自伝的な一冊、『女の履歴書 愛・富・美への飛翔』(廣済堂出版)。
もうひとつは、ノンフィクション作家・溝口敦さんが書いた告発本、『細木数子 魔女の履歴書』(講談社)。
「本人が美しく語る自分の物語」と「第三者が徹底取材で暴いた裏の顔」、この真逆の視点を混ぜ合わせて一本のドラマにしている。
これがわかると、前半と後半でドラマの質感が変わる理由が腑に落ちるんですよ。
前半の「苦労してのし上がった数子」は自伝ベース。
後半の「実は人を搾取していた数子」は告発本ベース。
「信頼できない語り手」という文学的な手法を使って、同じ人物の「本人が語る顔」と「周囲が見ていた顔」を並べている。
難しい言葉を使うつもりはないですが(汗)、ようするに「前半に感情移入したあなた、後半で一回裏切られますよ」という構造になっているわけです。
ちなみに瀧本智行監督は、このドラマのオファーを「2度断った」と複数の取材でも語っています。
「細木さんのことが嫌いだったから」というのが理由で、テレビに映るたびチャンネルを変えるほどだったとか。
でも「嫌いな人が撮った方が面白くなる」というプロデューサーの一言で引き受けることになった、という制作裏話は知って観るとさらに面白さが増します。
これ、知って観るとかなり面白さが変わります。
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まとめ
『地獄に堕ちるわよ』は実話なのかフィクションなのか、この記事でわかったことをまとめます。
- ドラマ冒頭に「事実に基づいた虚構」とテロップが出る通り、完全な実話でも完全なフィクションでもない
- 細木数子さんの人生の大きな流れ(幼少期・銀座時代・裏社会との関係・島倉千代子との件・安岡正篤婚姻騒動)は史実ベース
- 会話の内容・感情表現・細かい出来事の描写はドラマとして脚色されている
- 「橋の上での島倉千代子との出会い」など、劇的な場面の一部は創作とみられる
- 出来事の時系列が史実と前後しているのは、日本の戦後史と重ねる演出上の調整
- 養女・細木かおりさん自身も「フィクションとして制作すると伝えられた」と証言している
- 地上波テレビには絶対に作れなかった題材で、Netflixというプラットフォームだからこそ成立した
私が調べて一番「そっちか」と思ったのは、脚本の構造の話です。
細木数子さん本人の自伝(美化バージョン)と、告発本(暴露バージョン)の2冊を混ぜて一本の物語を作っているというのは、観終わったあとに知ると「あ、あの感じはそういうことか」となる。
「全部フィクションであってほしい」と思いながら調べたら「結構ホンモノだった」で着地する、この終わりのないループが『地獄に堕ちるわよ』最大の恐ろしさかもしれません。
怖いもの見たさでまだ観ていない方は、ぜひ。
観た方は、参考文献の2冊も気になってみてください(笑)。


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